【小説:解離性同一性障害 多重人格の彼女】ひのはな(23)

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ひまわり

第六章

7月28日  天気 灰

私は今、病院にいる。検査も終わって、「あとはゆっくりお休み。」っておばさんに言われた。まだ今日は始まったばかりだけど、気持ちを整理するために日記を書こうと思う。今日、私の家は火事にあった。真っ黒い炎が、真っ赤な空へ向かって全部を突き上げて、それが全部、何色でもなくなった。無色透明?違う。ただ、単純に色がないだけ。私に残されたのはこの日記だけ。なんで私は日記なんか持ってきたんだろう。大事なものはきっともっと他にあったのに。

深夜に、むせこんで目が覚めた。夏だから暑いのは当たり前だけど、なんだか異様に暑いと思った。あんなにたくさんの色を集めた部屋が、煙に取り囲まれて白黒映画みたいになっていたから、すぐ火事だって思った。何を持って逃げようか、そんなことを考える前に、私の両手は、唯一虹色に光っている日記をがっちりと掴んだ。後はとにかく走った。生き延びようと必死だったと思う。部屋を出るとき、丸いドアノブをひねって、「熱い」と言ったかもしれない。部屋のドアを開けたらそこには地獄が広がっていて、そこら中に灰色でぶっとい金棒を持った赤鬼がいた。赤鬼は嫌い。だって非情だもの。こんなんだったら、青鬼の方が良かった。これはあとの祭り。夏に目の前をただよう名前も知らない虫にするように、赤鬼を両手でしゃっしゃと振り払いながら階段を駆け下りた。どこかの国の民族の風習みたいに。真っ黒で、時々チラチラしたオレンジ色の階段を駆け下りたら、三途の川みたいに出口〔あれ?入り口?〕があった。良くわからないけれど、えんま様もいないから三途の川のドアノブをひねって、地獄とは別の世界に私は身を投げ出そうとした。けど、人生上手くはいかなかった。急に息が苦しくなって、あと少しなのに動けなくなった。どうやらえんま様の許しは得られなかったみたい。涙は出なかったと思う。なにしろ私はカラカラだったから。

そうしてどのくらい経ったのかは分からないけど、誰かが、ばしゅーんって、ロケットみたいに玄関を突き破って入ってきた。かすかに残った意識で、悪魔が迎えに来たと思ったけど、それはまったくの誤解で、実際に来たのは救急隊員の服を着た、見たことのある顔だった。山本守さん。軽々と私を抱きかかえて走りだす。さすが、夏美お姉ちゃんの元彼だね。だけど彼は小さな声で、『夏美、良かった。』って言った。あれ?私は春美なんだけど?でもすぐに思い出した。私は今日、美容院で髪をばっさり切ったから、きっと勘違いをしているんだね。

守さんに抱えられたまま外に出た私の目の前に最初に飛び込んできたのは、うようよとうごめく赤い世界だった。向かいの家も、電信柱も、曇った夜空も、皆一様に赤くうごめいていた。そして私の背後でまだカンカンに怒っている赤鬼が憑依したかのように、しかめっ面の野次馬たちも赤く染まっていた。外にも赤鬼がいたと思った。その赤鬼達は、飛び出してきた私を見るなり、「あー」とか「うー」とか言っていた。その赤鬼の中で、一人だけ真っ青になっている男がいた。大輔さんだ。まじまじとその姿をみて、まるで青鬼みたいだと思った。その青鬼は、私を見るなり駆け寄ってきた。人生で初めて生きた心地がした。ほら、だから青鬼の方が良いんだ。だけど良かったのはここまで。やまない雨はないけれど、ずっと青い空もない。大輔さんは私に向かって、涙を浮かべながら、「夏美!!夏美、良かった。」って言った。すぐに言い返そうと思ったけれど、声が出なかった。途端に私は救助隊員に取り囲まれ、そのままストレッチャーに寝かされて救急車に入れられた。隊員が、「誰か付き添いの方を一名」と言うと、すぐに「私!私が付き添います!!」と言って、近くに住んでいる親戚のおばさんが名乗り出てきた。本当は、大輔さんに付き添って欲しかったのに。おばさんが、「大丈夫よ、大丈夫よ」と気が動転したように私に言ってきた。でも私は少し煙を吸い込んだくらいでどこも痛くなかったから意外に冷静で、かすれた声で「おばさん落ち着いて」ってなだめた。そしたらおばさんが「本当に良かった。本当に良かったわねえ、なっちゃん。」って言った。もうこれで、三回も夏美姉さんと間違えられたけど、嫌な気持ちはしなかった。髪を切るだけで姉さんと間違えられるなんて、少し嬉しい。せっかくだから、その後もおばさんに対して夏美姉さんのふりをしてた。だから私の病室のベッドには、黒いマジックで坂本夏美って名前が書いてある。どうせ夏美姉さんが運ばれてきたらすぐにばれちゃうんだ、せめてそれまでの間、夏美姉さんのままでいたかった。

こんなに時間が経っているのに、まだ誰も運ばれてないのだろうか?家族は大丈夫かな?不安で眠れない。

ここからは今日の夜に書いている。今、親戚のおばさんの家にいる。しばらくここでお世話になることになった。病院の人がさらに詳しい検査を勧めてきたけれど、体はなんともないから断って退院した。

今朝は興奮でなかなか眠れなかった。昼過ぎに、目が覚めたらおばさんがそばにいた。目が真っ赤だったから、泣いているってすぐに分かった。「どうしたの?」って聞いたら、おばさんがゆっくりと話してくれた。

私の家は火事で無くなったんだって。大好きなウサギのぬいぐるみも、友達から貰った宝物も、全員が輝く白い歯で笑っている家族写真も、ぜーんぶ無くなった。この日記以外。ねえ、大事なものはもっと他にあったんだよ?三人の姉さん、お父さんお母さん。思い出なんかたくさん頭の中に入っているのに、みんなとの明日は、もう一回だってやってこないのに、私には思い出を綴った日記しかなくなった。

おばさんの家に行くときに私の家の焼け跡を見に行った。ほんとに燃えてた。黒と茶色と灰色。外からみたら家の形は残ってるのに、窓から見える家の中身は真っ黒。ホントに無くなっちゃうんだ。なにもかも。

なんで私が生き残ったのだろう。私なんかより、夏美姉さんが生き残ればよかったのに。みんな私を夏美姉さんだと思っていることだし。きっとみんな、夏美姉さんが生き残ることを期待してたんだね。少し被害妄想が過ぎるかな……。

それから、おばさんには本当のことを言った。私は春美だよって言ったら、すごく驚いていた。最初は冗談か何かと思ったようだったけど、髪を切ったから似ているけどって説明して、いろんな思い出話をしたらようやく分かってくれた。

なんだか全部が他人事みたいで涙も出ない。もう疲れた。おやすみ。

7月29日  天気 春美時々夏美

火事の次の日。私は夏美姉さんの服を着た。昨日まではおばさんに借りたグレーのスウェットで過ごしていたけれど、免許やら保険証の手続きをしに外に出るって言ったら、「あらあら、だったら」って言いながら押入れをごそごそと探り出した。おばさんには私より二つ年下の娘がいて、その子はもう一人暮らしで家を出たから余っている服を分けてくれた。おばさんが、「まさか夏美ちゃんの服のお下がりをうちの娘が貰って、それが今度は春美ちゃんにいくなんてね。」と言いながら押入れから何着かの服を出してくれた。夏美姉さんはとにかく流行に敏感でたくさん服を買い漁っていた。いつも着ている服が違うから、あんなに買っていた服はどこに行ったのかな?って思ってたけど、こういう風に流通してたのね。夏美姉さんの服を着たら、おばさんが目を細めながら「本当にそっくりね」って言ってきた。すごく嬉しい。憧れの夏美姉さんに近づいたかな?

今日は警察署に行ったり、役所に行ったり大変だった。でもやることがあるのはいいことだ。気がまぎれる。それからおばさんから「葬式はどうするの?」って言われた。どうしよう?どうすればいいんだろう?って悩んでたら、「じゃあ、難しいことはこっちに任せなさい」って、ドカンと胸を叩きながらおばさんが言ってくれた。おばさんありがとう。

一日中夏美姉さんの服を着てたから、なんだかすっかり本人になった気分。不謹慎かな?鏡の前で、夏美姉さんの真似をしてみる。でもやっぱり姉さんには敵わない。だって私は、夏美姉さんじゃないから。そう思ったら、不意に家族の事を思い出して涙が流れてきた。

午後になってやることがなくなってしまったから、私はもう一回自分の家を見に行った。そしたら、「夏美ー!!」って声が聞こえた。振り向いたら、大輔さんだった。あれ?なんでこんなところにいるの?驚いている私の所までやってきて、すぐに抱きしめてきた。そして、「夏美。無事で良かった。本当に無事でよかった。」って言った。ねえ、大輔さん、どうしてそういうことを言うの?そんなことを言われたら、あなたを悲しませたくない私は夏美姉さんの真似をしなくちゃいけないじゃない。だけど、ずっとあのまま抱きしめてて欲しかった。

私はせっせと姉さんの真似をした。人を悲しませないために付く嘘は、悪でしょうか?

いずれバレてしまう嘘を付くのは馬鹿でしょうか?ぜんぜん答えが出てこなくて、大輔さんに聞いた。「春美じゃなくて、私が生き残って良かった?」って。そうしたら大輔さん、すごく怒るから本当に驚いた。その後で、「春美ちゃんはもういないんだ。」って言った。ホントだね。もしかしたらそうなのかも知れない。その方が、きっと大輔さんは良かったんだよね。うん。そうなんだ。でもさ……、だったら、

だったら、キスなんか求めないでよ。切なくなるじゃない。

大輔さんは私を夏美姉さんだと思ってる。姉さんが生きていると思ってる。私が春美だって知ったら、がっかりするかな……。私が生き残ったという事実が、私の大切な人をがっかりさせてしまう。こんなに悲しいことがあるだろうか?心が水色の涙に染まる。

8月5日 天候 友情のち恋心

もう、あれから一週間経つんだね。いろんなことが整理出来たけど、私がどうあるべきかがわからない。今日は携帯電話を買った。と言っても、SIMカードだけ再発行して、中古屋で本体を買ったから番号もアドレスもそのまま。じゃないと、友達と連絡取れなくなっちゃうから。電源を立ち上げたら、溜まってた友達からのメールがたくさん届いて驚いた。うん。きっと私は生きていても良いんだって少し思えた。

それから大輔さんに電話をした。もしかしたらこのまま電話をしない方が良かったのかもしれないけれど、やっぱり、声を聞きたい。私だって生きているんだから、恋くらいしていたい。それが例え、叶わぬと知っている恋だとしても。

私は夏美姉さんの服を着て、鏡の前で真似をする。その後で思い切って大輔さんに電話を掛けた。すぐに誰か分かってくれた。そう、夏美姉さんだって分かってくれた。しかも、「そりゃあ、彼女の声ぐらいわかるよ。」って言った。うん、そうだよね。だって、声までそっくりだもん。

花火大会に誘われた。「クライマックスの最後の最後に、一輪の大きな向日葵が咲く花火大会があるんだ。夏美には向日葵が似合う。だから、世界一大きな花を咲かせる向日葵を、夏美と二人で観に行きたい。」だって。姉さんなら、絶対に行くっていうよね?そんなの観たらたぶん私は泣いちゃうから断りたかったけど、行くことにしたよ。電話を切った後に、涙が溢れてきた。

私には、向日葵が似合わないのかな?