【小説:解離性同一性障害 多重人格の彼女】ひのはな(24)

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ひまわり

8月8日 天候  向日葵、ところにより曇り

夏美姉さんごめんなさい。私はあなたの真似をして、愛する人にキスをしました。だって、悔しかったから。

新しく買った黄色い浴衣を着て行ったら、気付いていないふりをしながら大輔さんが褒めてくれた。うん、買って良かった。満員電車を理由に、私は大輔さんにずっと抱きついていた。もうなんだか、このまま到着しなくても良いと思った。だってそこには、夏美姉さんの為に用意された花火が待っているから。けれども電車は動くし、時間は止まらない。

会場について予想しておくべきだった事が起こった。夏美姉さんはビールを飲む。私はビールを飲めない。そしてまた一つ、嘘という積み木が積まれた。それを受けて大輔さんも、お酒を飲めないって言う嘘を一つ積み上げた。嘘って、嘘を呼ぶんだね。だから嘘を付いちゃいけないんだ。今は小さい嘘だとしても、きっとその先に悲しむ人を生んでしまうから。

私は嘘をやめようと思った。だから、春美を辞めることにした。その代わり最後に、もう一度だけ春美として、世界一大好きな人とデートをしたかった。あの時は、もう自分でも何をしていたのか覚えていない。ただ、私は最後のデートを楽しみたかった。でも大輔さんとのデートを楽しむうちに、だんだん欲が出てきて、花火はどこから観ても丸いけど、中から観たらそうは観えないんだよって、私のことを言った。気付いて欲しかったの。私が春美であることも、私の想いも。全部、気付いて欲しかった。

でも大輔さんが気付いたのは、向日葵が散ったこと。おまけに、「俺が好きなのは、春美ちゃんじゃない、夏美なんだ。顔が同じだって、俺は夏美が好きなんだ。」だって。ねえ、そんなこと言わないでよ。春美は今日でさよならなんだよ?大好きな人に嘘を付きたくないから、春美はもういなくなるんだよ?せめて最後に、少しくらい幸せを分けてくれたって良いじゃない。

くやしくて、私は思い切りキスをした。体が溶けて、あなたと一つになってしまいたかった。気付いてた?あのとき私は春美だった。気付いてた?あれが最後の春美だった。

気付いてないよね?私があなたに背を向けて屋台の連なる道を走るとき、私は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。そしてその時、春美が音を立てて消滅したの。花火みたいに。

ひゅー、どーん、ぱらぱらぱら……。

出来ればもっと綺麗に咲きたかった。涙がとまらない。

8月10日 天候 大輔一時母

警察から電話があって、あの火事に進展があったみたい。いまさらそんなことどうでも良いけど、あの火事をニュースで報道されて、夏美お姉さんが死んだことを大輔さんが知ってしまうのが恐い。

そんなことを思っていたら、大輔さんから電話があった。急遽早めに家に来たいって。なんだか元気がなさそうだったから、来たらたっぷりと癒してあげようと思ってた。でも、もしかしたら知ってしまったのかもしれない。そうしたら、素直に謝るしかないと思った。

案の定、家に来るなり、隠し事はしたくないって言われた。大輔さんにとっては辛い事かもしれないと思ったけれど、バレてしまったのならばしかたない。私は決心して言った。「嘘付いててごめんなさい。私は春美です。夏美姉さんはあの火事で亡くなりました。」って。そうしたら、大輔さんが突然、何も言わずにヘナヘナとその場に倒れた。私は驚いて大輔さんの肩をゆすった。

その後、不思議な事が起こった。気を失ったはずの大輔さんがすぐにむっくりと起き上がって正座をして、「春美ちゃん、はじめまして。大輔の母です。」って言ってきた。そして、「この子最近色々とあってね、少し心が疲れてるみたいなの。だから、少しの間その話は内緒にしててあげて頂戴。夏美ちゃんを信じている大輔が、もっと混乱してしまうから。ごめんね。」って、丁寧に頭を下げて出て行った。

私は一瞬なんのことか分からなくて、大輔さんが帰った後もぼんやりとしていた。でも、すぐに分かった。あの時と一緒だった。大輔さんが、夏美姉さんと同じ病気になってしまった。私のせいだ。どうしよう。どうして私は、大切な人を病気にしてしまうのだろう。いよいよ私は疫病神だ。私が生きていると、私の側にいる人がみんな病気になっていく。そう、大切な人に限って。

今日はもう寝よう。なんだか総てが無に思えてきた。

8月11日 天候 明日天気になぁれ

明日を天気にしたいから、私は死を選びます。眠ろうとしたけれど全然眠れなくて、だって、生きている意味がなくなって、生きていれば誰かを病気にしてしまうような人間はきっと死んだ方が良いんだ。まさかこの日記が、遺書になるなんて。そういうことか、私があの火事の中唯一持ち出したものがこの虹色に輝く日記だった。なるほど、総てはあの赤鬼のシナリオ通りだったんだ。

死後の世界なんて分からない。皆が言うように天国と地獄があるのだろうか?清い流れの三途の川を小船で渡り、その先でえんま様に天国か地獄を決められて、悪人は舌を抜かれて……。私は、きっと舌を抜かれるんだろうな。だって二人も病気にしてしまったから。嫌だな、怖い。今さら神様に総てを懺悔すれば、許しを得られるのだろうか?でも世の中、

神様がたくさんいるから、どの神様に謝ればいいのかもわかんない。神様が多すぎて、世界では戦争だって起こっちゃった。悲しいね、世の中。信じたい何かの為に、死んだり、殺したり。本当は何もしていないのに疑いを掛けられて死刑になった人と、何人もの人を殺しているのに未だにのうのうと生活をしている人とでは、どっちが多いのだろう?

うん、そんなこともうどうだっていい。もしかしたら、死んであの世に行って、お姉さんや先祖達がこう言うかも知れない。『春美、やっと来たか。それが正解だよ。こっちはすっごく楽。生きていた頃の苦労や悩みが嘘みたい。なーんにもしなくても怒られないし、お腹もすかないし、痛みもないし、ストレスもない。こっちがこうだって知ってたら、頑張って生きてないでさっさと死んでたのに。まあでも春美も気付いてこっちに来たんだからよしとするか。』なんて言われるかも知れない。結局、どんな理論や宗教観を持っていたって、誰も分からないんだ。だって、死んでいないんだから。これから私は分かる。もうすぐ、その答えを知ることが出来る。でも、いざ遺書と言っても、何を書けばいいのだろう?だって私には、大輔さん以外に伝えたいことなんてないんだ。高校の時に学んだかな、なんだかこんな短歌が浮かんだ。

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

私と言う桜が生まれて来なければ、どれほど素敵な恋の時間が二人に流れたのだろう。

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき

この世から消えてなくなれば、少しは愛してもらえるかな、一瞬だけでも。思えば生まれたときから、この命には永遠なんてなかったんだから。

耐え切れず、私は恋に悩まされ、救うべくして、彼と離れる。きっと大輔さんが私の亡骸を見つけてくれる。そしてこの日記に気付いてくれる。そう、私にとって初めてで、そして最期のラブレター。なんて哀しいんだろう。これから死ぬって言うのに、まだ美しくありたい私の気持ち。もう、何を書いているのかわからない。

さよなら大輔さん。すごく短い間だったけど、楽しかった。あなたから、夏美姉さんを奪いたくなくて、私は一世一代の嘘を付きました。それも限界。その行為が、あなたの心を混乱させてしまったから。でもこれはね、私の精一杯の愛情。愛しいあなたのために、きっと私にしか出来ない嘘だった。これ以上あなたが苦しむ姿をみていられないから、わがままと引き換えに私は消えてなくなります。

さようなら、愛しい人

そこで日記は終わっている。どこまで読んだかの記憶はない。僕の視界はゆっくりと白い世界に包まれ、心地よい無意識へと移行していく。

目を覚ます。僕は椅子に掛けていて、上半身をベットにもたれた状態で眠っていたようだ。ゆっくりと顔をあげる。確か僕は車の中にいたはずだが、視界に広がったのは真っ白な世界。病院の個室だ。六畳ほどの真っ白な世界に、窓から太陽の光が差し込んでいる。後ろを振り返ると、やわらかなエアコンの風に吹かれて、クリーム色のカーテンが優しく揺れる。

「目が覚めましたか?」

と、柔らかな声を掛けられる。そちらに目を向ける。病院のベッドの上で、少しだけ状態を起こした夏美の顔がある。しかしそれが春美ちゃんであることを僕はもう知っている。僕は悩んだ末に質問をする。

「春美ちゃん、か?」

愛しい人と同じ顔をした女性は、少しだけうつむいた後で、

「はい。」

とつぶやく。なるほどと確信をし、僕は続ける。

「そっか。……、そっか。」

そんな事しか言えない。その解答は、まぎれもなく夏美の死を意味している。僕はただ、何も言わずにうなずく。夏美の死を自分に理解させるように、何度も、何度もうなずく。いつのまに流れたのだろう、頬をつたった一筋の雫が口に入り、舐めると少しだけ塩辛い。春美の書いた日記が、音を立てて僕の脳に呼び覚まされる。ゆっくりと目をつむる。

「そっか。ありがとう。ホントにありがとな。」

僕はまたうなずきながらそう言う。涙を拭い、目を開け、ぼんやりと部屋の中を見つめる。春美の顔ではなく、ただ、目の前にある空間を。長い沈黙があった。

「あの時死ぬべきは、私だったんでしょうか?」

実に寂しげにポツリとつぶやく。僕は激しく首を振り言う。

「そんなわけないだろう。春美ちゃん、あのな……。」

「良いんです。それだけで。ありがとうございます。」

僕の言葉をさえぎり、春美は話し出す。

「さっきまで、大輔さんのお母さんと話をしていました。」

「え?」

「たっぷりと怒られました。死のうとしたこと。」

僕は何も言えない。春美が続ける。

「死のうとした私は結局生き残りました。生きている理由もないくせに、臆病だから、結局自分を殺すことも出来ない情けない人間なんですって言ったらね、大輔さんのお母さん、それは死ぬことに対して臆病だったからじゃなくて、生きることに対して強い気持ちがあるからだよって言われました。そうなんです。私、生きたいんです。どんなに人に迷惑を掛けてしまっても、どんなに大切な人を病気にしてしまっても、私やっぱり生きていたい。生きて、今度はもっとたくさんの人を幸せにしてあげたい。今、素直にそう思います。」

「当然だよ。君は生きるべきだ。君には死ぬ理由なんて一つもない。こんなに優しい女の子じゃないか。」

「ありがとうございます。嘘でも嬉しいです。」

「嘘なんて。」

「良いんです。私はこれからなんです。自分の生きる意味を、自分で掴みます。」

「自分で?」

「私、精神科医になります。今から学校行って、勉強して、世間からは今さらって思われるかも知れないけど、そうやって少しでもお姉さんや大輔さんと同じ病気に悩む人を助けたい。」

それを聞いて僕は胃がキュッと締め上げられるのを感じる。

「なあ、春美ちゃん。俺、……、病気なのか?」

春美はゆっくりと首を振る。