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【小説】ひのはな(7)

ひまわり

それから五分ほどで目的の駐車場にたどり着く。
車のエンジンを止めると、僕は車の中から近くの建物を指差し、
「あそこが無料で貸し出してる更衣室とシャワールームだから、そこで着替えてくると良いよ。」
と言う。
「良いの良いの。私、もう中に水着着てるから。」
そういって、黒いTシャツの首の所を肩まで伸ばして中のオレンジ色の水着を見せてくる。それを見て苦笑いしながら言う。
「おまえね、小学生のプールじゃないんだから。」
「良いじゃん別に。結局同じことなんだから。」
「いいけどさ。じゃあ、ここで脱いで行くの?」
「脱がないよ?」
それを聞いて僕は一瞬とまる。
「え?なんで?」
「このまま海に入るから。」
「え?なんで?」
「水着になりたくないから。」
「え?なんで?」
「だって、今年は気に入った水着が買えなかったんだもん。」
「え?なんで?」
「急に海に来ることになったから時間がなかったの。」
「え?なんで?」
「なんで?ってなんなの?別に良いでしょ。」
「良くない。」
「はあ?何言ってんの?早く準備して。」
夏美はホイホイと手であっち行けと言わんばかりのジェスチャーをしながら言う。僕は諦めて、
「もう、わかったよ。じゃあ俺も着替える。」
と言いながら車のドアを開けて外に出ると、そこでおもむろにハーフパンツを脱ぐ。
「ば!ちょっとあんた何やってんの。」
顔を背けながら夏美が僕に抗議する。ハーフパンツを脱ぐと、またハーフパンツが出てくる。
「俺ももう中に海パンはいてるから。」
とつぶやく。夏美はキッとこちらを睨みながら、
「うざい。」
と一言吐き捨てる。

僕らはビーチに向かうと、まだそんなに客がいない所に黄緑色のレジャーシートを広げ場所を確保する。そしてすぐに海の家へ向かう。威勢の良いおじさんが、
「あいよ。いらっしゃい。」
と手を叩きながら言う。僕は、
「ビール一つと、ウーロン茶、それからラーメンと味噌おでん。」
と、注文をする。
「まいど。」
と言って、おじさんは調理場の方に向かってメニューを繰り返す。夏美が僕の方を見ながら問う。
「なんでこんな暑い時にラーメンと味噌おでんなわけ?」
「暑いからだよ。」
「は?」
「ビール飲めないんだからそのくらい良いだろ。」
「私は別に良いけど。」
会話している間、僕はずっとおじさんの様子を見ている。おじさんは慣れた手つきでディスペンサーにカップを設置しウーロン茶のボタンを押す。ウーロン茶が自動で出て来ている間に今度はビールサーバーに手を掛ける。レバーを手前に引いて黄金色の液体を斜めに構えた透明のカップに注いでいき、七割まで注がれたところで今度はレバーを奥に倒す。クリームのような真っ白い泡が大切なものに蓋をするように垂れてくる。カップの淵ぎりぎりでレバーを戻し止める。そして先ほどのウーロン茶に氷を入れると、真っ白い歯を見せながらおじさんが振り返る。
「はいよお待ち。ビールはどっち?」
おじさんの問いに夏美が手を挙げる。僕も負けじと手を挙げる。
「ちょっと!」
夏美に一喝入れられ、僕は手をおろす。
「はい彼女。と、ウーロン茶ね。ラーメンとおでんはもう少し待ってね。」
僕らは軽く礼を言ってドリンクを受け取る。
「ドライバーは大変ね?」
「ええ、とっても。」
気持ちのこもっていない労いの言葉と、たっぷりと皮肉をこめた返事。
「うー、じりじり来てる。気持ちいいかも。」
「こりゃ、早速焼けてるな。」
僕らは両腕をまっすぐ前に伸ばし、しかめ面で太陽を見上げながら言う。すでに体が汗ばんできている。
「はいお待ち。ラーメンと味噌おでんね。」
そう言って、おじさんがトレイごと渡してくる。僕は夏美にウーロン茶を手渡してトレイを受け取る。そのまま僕らは自分達のシートに戻る。
「一つ頂戴。」
と言って、夏美が味噌おでんに手を伸ばす。
「ほら、結局喰うじゃないか。」
「だってこれしかないんだもん。」
ビール片手に夏美がおでんに噛り付く。
「うん。ビールに合う。」
「良いよなあ。」
恨めしそうに夏美のビールを見つめる。
「だったら電車で来れば良かったのに。」
「いやー、海の帰りに満員電車に揺られて帰るのはちょっとなあ。」
「そっか。ゴメンね。私だけ良い気分で。」
夏美は肩をあげて相変わらず悪びれた様子もなく言う。
「しかたないよ。ドライバーの定めだ。」
僕はウーロン茶を飲むと、味噌おでんに手を伸ばし一口食べる。口の中で『ジャリッ』と音がする。
「いてっ!」
軽く悲鳴を上げて口の中に指を突っ込む。
「お?さっそく砂発見?」
夏美が興味深げに僕の方を見つめる。僕は指を突っ込んだまましかめ面でうなずく。
「良かったじゃない。それでこそ海の家の料理って感じ。」
「まあ、分からなくもないけど……。」
そう言って僕は砂を取り除くのを諦め、ウーロン茶を流し込む。

ご飯を食べ終わると、僕も夏美も早くも汗だくになっている。夏美はTシャツの袖を捲り上げて、
「うー、暑い。黒のTシャツを着てきたのは間違いだった。」
と、目をつむりながら言う。
「あのさ、悪いことは言わないから脱げば?」
僕が提案する。
「やだ。海に行く!!」
と言って急に立ち上がって海に向かって走り出す。
「うわ、夏美、ちょっと待てって。」
僕もそれに続いて走り出す。先を走る夏美との距離をグングン詰めると、そのまま追い越して僕が先に海へ到達する。海に突入してからも走り続け、四歩目で水の抵抗に勝てずに脚を取られて前のめりに倒れこむ。
頭から水に浸かってブルブルと首を振りながら顔を出す。
「冷てー!」
と叫んだ僕の近くに夏美が体ごとジャンプしてくる。そのしぶきが顔を上げたばかりの僕に浴びせられ海水が口に入る。僕はたまらず、
「しょっぱー!!」
と叫ぶ。同じく頭から海水を浴びた夏美が、
「冷たー!」
と、はしゃぐ。そして両手で顔にまとわりつく水を拭うとぶるぶると首を振る。ショートカットの髪の毛が振り回され周りに水滴を飛ばす。それがまた僕に浴びせられる。
「ぶわー!ちょっと!」
僕は顔を背けながら左手で飛散する水を阻止する。水滴が飛んでこなくなって振り返ると、両手で水をすくってニヤリとしている夏美と目が合う。
「おい!」
と言うと同時にまともに顔面に水をくらう。鼻の奥に海水が入りツンとした痛みに襲われ、その後で潮の香りがする。顔を手で拭い仕返しをしてやろうと夏美の方をみると、すでに夏美は泳いで逃亡している。僕はそれを泳いで追いかけるがなかなか夏美に追いつけない。そうこうしているうちに夏美は沖に設置された小さな人工の島にたどり着く。島に取り付けられている手すりを使って島の上にあがると、こちらを向いて腰掛け、脚だけを海につけてバシャバシャとバタ足をする。
「遅いぞー!かなづちー!」
その言葉を受けて、僕は泳ぐのをやめ、手と脚を器用に使って水中から顔だけ出して浮く。
「かなづちだったらここまで来れないから!」
そう言って、ゆっくりと犬掻きで島まで泳ぐ。島に上がり夏美の隣に腰掛ける。夏美が遠くを見ながら、
「冷たくて気持ち良い。」
と言う。
「うん。入ったときはかなり冷たかったけど、泳いでたら慣れちゃったよ。っていうか、Tシャツ着てて良くこの距離を泳げるね。」
夏美は、「ふふん」と鼻を鳴らすと、ゆらゆらと水中で脚を動かす。
「夏美だからね。」
と言う。
「なんだそりゃ。」
「夏と言えば海。この名前で泳げなかったら名前が可哀想じゃない。」
「確かにね。じゃあ、春美ちゃんは泳げないんだ?」
「え?」
夏美の顔が一気に曇る。言ってすぐにしまったと思った。一番比べちゃいけない名前を出してしまった。
「どうして春美のことを気にするの?」
声のトーンが一気に低くなり、周囲の空気も重たくなる。
「い、いやあ、夏美と言えば海って話だったから、双子の春美ちゃんはどうなのかな?って思っただけだよ。」
「ふーん。じゃあ、今度は春美と海に来てみれば?」
海中で揺れる自分の脚を見ながら夏美が言う。
「おいおい、なんでそうなるんだよ。」
「そうなるじゃない。春美の方が可愛いし。」
「おい、夏美ー。」
僕は、ゆらゆらと水中で揺れる夏美の脚を見ながら、ふさわしい言葉を捜すけれど、どんな言葉もふさわしくないように思える。
「なんてー、うっそー!ビックリした?」
「は?」
「演技派?わたし演技派?あはは、大輔、なにその顔?ぜーんぜん気にしてないよ。」
「おまえビックリさせるなよ!!」
「それじゃあ、夏美ちゃんは泳ぎます。」
と言って逃げるように海に飛び込む。
「逃げるか夏美!!」
そう叫んで僕もそれに続く。

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