本ページはプロモーションが含まれています

↓いま、この動画が面白い↓

 

【小説】ひのはな(8)

ひまわり

シートに戻ると夏美はまた丹念に日焼け止めを塗り始める。僕は不思議そうにそれを眺めながら、
「本当にそれで日焼け出来るの?」
と聞く。夏美は首の後ろに日焼け止めを塗りながら、
「あんまり。私はその方が良いのよ。そんなに肌が強い方じゃないから、日焼け止めをしながらゆっくりと何回も通って焼くの。じゃないとボロボロになっちゃうから。」
と言う。
「ふーん。」
そう言って僕は仰向けに寝転ぶ。
「大輔も塗ったら?ヒリヒリしてTシャツも着れなくなっちゃうよ?」
「良いよ、そしたら着ないから。」
「そうもいかないでしょ。仕事があるんだから。上半身裸の警備員なんてみたことないわ。」
「あっはっは。それ面白いね。」
「面白くない。日焼けで水ぶくれになんかなったら、あんな厚手の服着て働くの地獄よ?」
「そりゃそうだ。じゃあ、ちょっと塗ってくれ。」
僕はそう言うと、体を転がしうつ伏せになる。
「仕方ないわね。」
「いやーすまんね。」
そう言って目をつむったまま塗ってもらうのを待つ。僕の背中にジャブジャブと液体が掛けられる。
「あっつ!!」
驚いて僕は起き上がり夏美の方を見る。夏美の手にはミネラルウォーターの入ったペットボトルが持たれている。
「え?それ?」
僕はペットボトルを指差しながら聞く。
「そんなに熱かった?さすが炎天下。置いておいたらこんなお湯みたいになってたから、もういらないって思って。」
「いらなくなった水を人の背中に掛けるんじゃねえよ。ビックリしたよ。ラーメンを掛けられたのかと思ったわ。」
「分かった。今度はラーメンにする。」
「絶対やめてくれ。」
「大輔が甘えるからいけないのよ。ほら。」
そう言って僕に日焼け止めを放り投げてくる。熱湯のように熱い水を浴びた他に結局自分で塗る羽目になる。僕はぶつくさと文句を言いながら全身に日焼け止めを塗る。それを見ている夏美が、
「しかし、まあ良い体ね。さすが警備員。」
「そりゃそうだ。ゴボウみたいな警備員に金庫や家を任せたい金持ちはいないから。」
「ねえ、その背中のあざはどうしたの?」
そう言われて、首をひねり背中に目をやりながら答える。
「ん?ああ、これか。これは小さい頃に悪ガキした証みたいなもんかな。」
「ふーん。ずいぶんと悪ガキだったのね。でも、その筋肉はなかなかねー。」
「昔からこれしか取柄がないんだ。それでも会社にはもっとデカイやつがわんさかいるよ。上を見たらきりがない。」
それを聞いた夏美は少し考えると、
「でも、下を見てもきりがないわ。」
と言う。
「変わった事を言うね。」
「悩み多き青春時代に自分を慰めた言葉よ。運動が出来ると思って大きな大会に出ればもっと上手い人はたくさんいるし、小遣いが少ないって悩んでいれば借金に悩む人もいる。上を見てもきりがない、下を見てもきりがない。一人の人間の視野は狭い。狭い視野で物事を相対的に見るとろくなことがない。くだらない見解で一喜一憂している暇があったら、もっと視野を広げるために勉強をしなさい。だって。」
「それは冬美姉さんの言葉かな?」
「ご名答。でもね、結構この言葉が救いになってるのよ。ほら、私なんかいつも比べられる双子ちゃんだから、なおさらね。」
「そうかー。双子の気持ちって考えたことなかったな。」
「考えなくて良いわよ。どうせ分かりっこないんだし。」
「冷たいねー。」
「暑いから調度いいでしょ?でもホント、あんまり気にしないでね。私だって双子じゃない人の気持ちなんて分かりっこないって思ってるし。だからお互い様。」
「うん。じゃあ、全然気にしない。」
「分かればよろしい。」
そう言うと、僕の背中の届かないところに日焼け止めを塗ってくれる。
「お、良いね。」
と、僕が調子に乗ると、夏美の平手が背中のど真ん中に打ち込まれる。悲鳴と共に僕はそのままうつぶせに倒れこむ。

 

「一日晴れてて良かったよ。」
「そうね。しかも綺麗な夕日のおまけ付き。」
高速道路を走る車の窓から眩しそうに夕日を見つめながら、替え用に持ってきたマゼンタのTシャツに着替えた夏美が答える。
「だいぶ焼けたかな?」
僕の言葉に振り返ると、少しこちらを観察しながら、
「うん。大輔は結構。私は全然。まあ、下準備完了ってとこかな」
と、Tシャツをめくってみながら答える。僕もそれにつられてバックミラーの中の自分の顔を覗く。やや赤くなっている。
「あー、赤くなってるよ。こりゃ、まずいかもな。」
「ほらね、日焼け止めしておいて正解だったでしょ?」
「うん。警備服が着れなくなるところだった。」
「これからも夏美ちゃんの言うことはしっかりと聞くように。」
「はいはい。高速道路の運転は眠くなるから、お説教でも大歓迎だよ。どうぞもっとしゃべってくれ。」
「残念だけど、眠くなったら遠慮なく寝ちゃうからね。助手席で眠る彼女をみると、男の人って可愛いなーって思うんでしょ?」
僕は返事をする代わりに鼻で笑う。永遠に続くのかと疑うほどまっすぐに伸びる道路がオレンジ色に染まる。まるで世界中からオレンジ以外の色が全て盗まれたかの様に思える。ラジオも音楽も流れていない空間に、うんうんと唸るエンジン音だけが聞こえている。夏美は助手席の窓から夕日をみつめながら鼻歌を歌いだす。実に切ない鼻歌だと思う。蚊のなくような声で、時に頼りなく途切れたりする。僕はそれをしばらく黙って聞いている。そして鼻から少しだけ多めに空気を吸い込むと、ゆっくりと口を開く。
「なあ、夏美。」
「なーに?」
一瞬鼻歌を止め、窓の外を見たまま返事だけする。
「俺……、夏美のこと好きだから。」
夏美がふっと笑う。
「どうしたの?急に。そんなの知ってますよ。」
一瞬こちらを振り返ったが、また照れくさそうに窓の外に向き直って返事をする。そしてまた鼻歌を始める。僕は一瞬、夏美のうなじのホクロに目をやる。少しだけ見える横顔を、夕日がオレンジ色に染める。
「俺、こないだの花見のとき、冬美姉さんに聞いたんだよ。」
「冬美姉さん?姉さんが、なんか変なこと言ってた?」
夏美は鼻歌の合間合間に返事をする。僕はフロントガラスの向こうをまっすぐに見つめている。オレンジ色に染まった道路はずっと先までまっすぐだ。曲がることを忘れてしまったのだろうかと思うほど。
「元彼のこと。」
ぴたりと鼻歌が止まる。夏美はずっと窓の向こうを見ている。運転席からは、彼女がどんな顔をしているのかは判別できない。おそらく顔を見たって、僕にはその心の中はわからないだろう。
「そう。」
と一言だけ返事をする。僕は次に続く言葉を思いつけない。夏美はバックの中に手を入れるとタバコを取り出す。そして窓を2cmほど開けるとライターで火をつける。空気が抜けていく音が車内に響く。タバコの先から立ち登る煙も、すぐに吐き出される一口目の煙も、逃げ出すかのようにわずかな2cmの隙間に吸い込まれていく。沈黙に耐え切れず、僕は言葉を搾り出す。
「俺が春美ちゃんを好きになるんじゃないかって、心配してるんじゃないの?その、元彼みたいに。」
夏美は黙っている。ゆっくりと二口目の煙を吸い込み、窓に向けてふーと煙を吐き出す。煙が一瞬だけ辺りをただよい、思い出したように一気に隙間に逃げ込んでいく。
「なあ、夏美。俺を、信じて……。」
「心配だよ。」
僕の言葉をかき消すようにしゃべりだす。
「大輔を信じれば信じるほど、余計に心配。どんどん好きになって、もう大輔の事しか考えられなくなったら、たぶん私はもっと心配。」
その言葉の意味を考え少し黙り込む。
「俺はさ、もう夏美も春美ちゃんもみたよ。何回も会った。外見はそっくりだけど、でも俺はおまえの中身が好きなんだ。だから心配しないでくれないか。」
そう言って、車のフロントに設置された灰皿を引き出す。夏美は自分のタバコの灰を確認すると、人差し指でトントンとタバコを揺らしてそこに灰を落とす。
「春美があなたのことを好きだったとしても?」
「なんだよそれ?そんなことあるわけがない。」
「どうかな。本人の口から聞いたわけじゃないけど、そんな気がする。」
「なら、もしそうだとしても、俺が夏美を好きだと言うことに変わりはないよ。だから心配しなくていい。」
「心配だよ。だって、同じ顔でこんなに違うんだよ?普通に考えて、春美の方が良いに決まってる。私を選ぶなんて、よっぽどの変わり者だわ。」
「だったら俺はその変わり者で良い。俺は夏美が好きなんだ。」
車がトンネルに入る。カチッと音を立ててヘッドライトが点く。等間隔で無数に設置されたオレンジ色の照明がずっと奥まで続く。その光りが高速で走る車内にまで侵入してきて、僕と夏美の顔を一定間隔で照らしてはやめ、照らしてはやめを繰り返す。スピードメーターが80㌔を示して緑色に浮かぶ。ゆっくりと夏美に吸い込まれたタバコの先端が赤々と火を灯している。
「ありがとう。」
と夏美はつぶやくと、もっているタバコを灰皿に刺し込み、指でクルクルと器用に回しながら消火して、灰皿を元の位置に押し戻す。そして2cmだけ開いた窓が閉められる。車内に静寂が訪れる。ずいぶんと長いトンネルなのだろうか?一向に出口が見えない。
「ねえ、大輔さん?大輔さんは、私のどこが好きなんですか?」
夏美が質問してくる。『大輔さん』と言う呼び方が気になる。
「大輔さんってなんだよ。急にかしこまっちゃって。」
「なにを言っているんですか?大輔さんは大輔さんです。」
「おいおい、なんだよその春美ちゃんみたいな話し方。」
そこまで言って僕はハッとする。花見のときに冬美が言っていた、『彼と別れてから何日かして、夏美は春美になったの。』という言葉を思い出す。
「春美ちゃんみたいなってどういう意味ですか?私は春美です。」
「え?」
一瞬で血の気が引いていくのを実感する。僕は夏美の顔をちらりと見る。
「お、おい!夏美?どうした、大丈夫か?」
「夏美姉さんは今日は家族で旅行に行ってます。大丈夫、元気にしてますよ。」
ハンドルを持つ手が震えてくる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました