【小説】ひのはな(13)

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ひまわり
どこかで聴いた記憶のあるクラシック音楽が安っぽい単音で耳に入り込んでくる。おそらく病院側の狙い通りだろう、不思議と少し気分が安らぐ。待っている間に僕はパソコンを操作しながら病院の面会時間を調べる。13時~20時までと記載されている。三分ほどで保留音が途絶える。
「あ、もしもし?」
僕の呼びかけに先ほどの女性が答える。
「坂本夏美さんですが、今のところ特に問題はないようです。」
「そ、そうですか。良かった。すみません、無理を言ってしまって。」
「いえ、お答えできる範囲で申し訳ないですが。」
「いえいえ、それが分かればひとまず安心ですから。ありがとうございます。」
そう言って僕は電話を切ると、改めて会社に電話をし、出勤の旨を伝える。その後で、電話の女性に無理を言ってしまったことを反省する。おそらく彼女の独断で答えてくれたに違いない。なんだか昨日から他人に無茶ばかり要求している。気が動転している証拠だ。気を落ち着かせなくてはと頬を軽く叩き自分を戒める。
洗面所で顔を洗い、口を軽くゆすぐ。キッチンに行きトースターにパンを差し込みスイッチを入れ、同時にヤカンでお湯をわかす。棚からカップを取り出しインスタントコーヒーの粉をそこに入れる。普段は入れないが、脳に栄養を与えるためスプーン一杯分の砂糖も入れる。程なくお湯が沸き、それをカップに注いでいると香ばしい香りと共にトースターからパンが顔を出す。出来上がったコーヒーとパンをテーブルへ運ぶと椅子に座り、テレビを付ける。昨夜の火事が取り上げられていないかと観ていたが、世間は政界の不祥事と大物俳優の入籍報道一色で、どこに選局しても火事の情報は得られない。世間との温度差を改めて実感しながら昨夜の野次馬のおばさん二人を思い出す。少し言い過ぎたかなと思いながらもあれは言うべきだったと思い直す。人が生きているか死んでいるかなんてことを、推測で語るべきではないんだ。僕はパンを食べ終え、食器をキッチンに下げると、残りのコーヒーを飲みながらタバコを吸う。今日の仕事は19時までだ。ギリギリだが20時までの面会には間に合うだろうと予定を確認する。
その後洗面所で歯を磨き、9時20分に家を出る。車に乗り込むと少しムッとした空気に包まれる。エンジンをかけエアコンを調節すると、職場に向けて車を走らせる。20分前には職場に着く。当然だが伸介の姿はない。ロッカーで着替えるとき、焼けた肌が少ししみ、改めて日焼けを実感する。タイムカードを切り、先ほど電話で欠勤をお願いした上司に挨拶に行く。「今朝は無理を言ってすみませんでした。」と頭を下げると、「いやいや、気持ちは分かるんだ。だが、それとこれとは別だ。しっかりやってくれたまえ」と一言言われる。勤務中は我がポリシーがごとくしっかりと警備する。ただ、今日ばかりは時計が気になる。早く19時になり夏美のもとへ駆けつけたい思いで胸がいっぱいだった。警備員でなくとも大方がそうあってくれと願うように、その日は何のトラブルもなく勤務が終了する。19時きっかりにタイムカードを切ると、僕は駆け足で車に戻りアクセルを踏み込む。道順は大体心得ていたから19時半には病院に到着する。車を降りると、病院の中に入り、面会の手続きを済ませるため受け付けへ向かう。若い看護婦に声を掛ける。
「あの、坂本夏美の見舞いに来たんですが、部屋はどちらでしょうか?」
看護婦は笑顔で、
「はい、坂本夏美さんですね。少々お待ち下さい。」
と言って名簿のようなものを指でなぞりながら確認していく。看護婦の指が止まり、こちらに申し訳なさそうに顔を向け、
「申し訳ないんですが、坂本夏美さんは本日退院されています。」
と言う。
「え?いや、昨夜救急車で運ばれたんですけど?」
僕は何かの間違いではないかと少し動揺しながら言う。
「そうですか。念のため確認いたします。」
そう言って立ち上がると看護婦はどこかに電話を始める。一分程で戻ってくると、看護婦は、
「やはり間違いないですね、退院されています。」
と言う。
「はあ、そうですか。でも退院って、火事で家がなくなったんですけど、どこに帰ったんですかね?」
僕は無意味な質問を看護婦にする。
「申し訳ないですが、退院後の患者様のことは分かりかねます。」
と、予想通りの解答が返ってくる。
「そうですよね。すみません。ありがとうございました。」
僕は軽く頭を下げると車に戻る。シートに腰掛け、首をかしげる。退院したということは無事だったという事なんだろうが、退院して、どこに行くだろう。僕は昨夜、親戚と名乗り、救急車に乗り込んだおばさんを思い出す。火事の現場にいたということは、もしや近くに住んでいる親戚なのではないだろうか?だとすれば一時的にその親戚の家に行ったと考えるのが自然だ。ただ、その推測をしたところであのおばさんの家が分からない。僕はひらめいたように夏美の携帯へ電話をしてみるが当然繋がらない。いくら考えてみても答えが出てこないので諦めて家へ帰る。
家に着くと、帰り道にコンビニで買って来た弁当をレンジで温めながら、同じくコンビニで買って来た新聞に目を通す。やはりこちらも政界の不祥事と大物俳優に夢中なようだ。途中で読むのを諦め弁当を食べる。テレビをつけようとリモコンを手に取るが、気分が乗らずそのまま元の位置に戻す。沈黙の中で、冷蔵庫が唸る音だけが響く。夏美は僕の携帯番号を記憶していないのだろうか?夏美の携帯は火事で無くしたとしても、僕の携帯に公衆電話やおばさんの家から電話してくるのは可能なはずだ。もしも問題なく退院したとすれば、自分で思うのもなんだが真っ先に彼氏と連絡を取りたいと思うはずだが。しかし夏美のことだ、きっと僕の携帯番号など覚えていなかったのだろう。こんなことならば、一度くらい自分の部屋につれて来て置くべきだったと思う。そうすればあちらからこの家を訪ねて来ただろう。たらればの思考を繰り返しながら風呂に入り、そのまま布団にもぐりこむ。昨日あまり眠れなかったせいで、ほとんど気を失うように僕は眠りに就く。

朝8時に目が覚め、僕は身支度をする。今日は休みだ。やることは一つ、夏美を探しに行く。と言っても考えなしにウロウロしてもしかたない。僕は一昨日火事で燃えてしまった夏美の家の近くで待つことにする。退院した夏美の立場で考えて、近くの親戚の家にいるならば、自分の家を見に来る可能性は高いはずだ。
朝食を済ませ車に乗り込むと、一昨日駐車場として借りたコンビニで新聞とコーヒーを買い、近くのコインパーキングを見つけてそこに駐車する。車を降りると夏美の家へ直行する。相変わらず侵入禁止のテープが貼られていて、近くに寄ると火事のせいだろうか、悪臭が漂う。遠目に中を覗くと、警察官らしき人物が数名で何かを調べている。やけに図体のデカい男と、眼鏡を掛けた細身の男が現場を取り仕切っているようだ。夏美がいないことを確認すると、僕は近くに小さな公園を見つけ、夏美の家の前の通りが見えるベンチに腰をかける。買って来た缶コーヒーを開けると一口飲んでベンチに置き、新聞を広げる。昨日報道されていた不祥事が少し展開したようだ。興味はまったくなかったが、一日ここでこうしているつもりだったので暇つぶしに目を通す。容赦なく日差しが照りつけ、座っているだけでも汗が出てくる。時計を確認するとまだ10時だ。新聞をうちわの代わりにして仰ぐ。
12時になっても夏美は現れない。通るのは小さな子供を連れた主婦らしき女性ばかりだ。時計を確認して立ち上がると、コンビニへ向かう。弁当とペットボトルのスポーツドリンクを二本、それから雑誌と携帯用の冷却材を購入し公園へ戻る。
太陽が若干傾いたことで日陰になったベンチを見つけそこに陣取る。僕は冷却材で首の後ろを冷やすと、弁当を食べながら公園を見渡す。どこからか子供が三人集まりサッカーボールを蹴って遊んでいる。何がおかしいのか分からないが、子供達はことあるごとに笑い出す。時折Tシャツの袖を使って流れる汗を拭っている。設置されたブランコと滑り台には興味なしと言った様子だ。そのブランコは無人のまま風に吹かれてわずかに揺れている。太陽が直接反射して滑り台の銀色の部分が眩しい。あそこに卵を落としたらきっと目玉焼きになるだろうなと思う。顔をしかめながら真上を見上げると、日陰を作ってくれている樹木の葉っぱの隙間から眩しい太陽がチラチラと主張する。
「いっくぞー!」
という少年の声が聞こえそちらに視線を移す。
「こごえるふぶきのシュート!!」
と叫んで少年はボールを蹴る。キーパーらしき少年がそれを素手で掴むと、
「うおー、つめてー!」
と言ってボールを落としてそこに倒れる。もう一人の少年が、
「やったなー!ならこっちは、もえさかるほのおのシュート!」
と言って蹴り返す。ふぶきのシュートを放った少年が今度はキーパーになってボールを掴み、
「あちちちち。手がやけるー!かじだかじだー!!」
と騒ぎ立てる。僕は予想していなかった火事という単語に一瞬ドキリとする。
「だいじょうぶか!ならこおりのシュート!!」
と言って熱いと演技するキーパーにボールを蹴る。キーパーはそのボールを掴み、
「つめてー!ふー、助かったー。」
と言いながら袖で汗を拭う。この子達はあの火事を知っているのだろうか?おそらく知っているだろう。そしてきっと、火の用心という内容の小言を、訳も分からず聞かされたのだ。30分ほど子供達はボール遊びをし、なにやら相談をした後でどこかにいなくなった。その後も夏美を待ったが、辺りを通るのは相変わらず主婦ばかりだった。
買って来た雑誌を読み終え時計をみる。15時。体力の限界も感じ始め、諦めようかもう少し粘ろうかと考えていると、遠くに黒いタンクトップに薄紫のショートパンツ姿の女性が目に入る。すぐにわかる。夏美だ。僕はそれを見つけると走り出し、夏美に向かって叫ぶ。
「夏美!!」