【小説】ひのはな(14)

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ひまわり

夏美だ。僕はそれを見つけると走り出し、夏美に向かって叫ぶ。
「夏美!!」
僕の声に夏美はこちらを振り返る。こちらに気付いてすぐに、信じられないものでもみつけたかの様に固まる。僕は駆け寄ると、なりふりかまわず夏美の細い肩を抱きしめる。
「夏美。無事で良かった。本当に無事で良かった。」
僕はしみじみと言う。しばらく固まっている夏美。間もなく抱いている肩が震えだす。そして、
「うん。」
と一言つぶやく。僕は夏美から体を離し、夏美の顔を見つめる。そして今にも涙が溢れ出しそうな瞳でこちらを見つめ、
「みんな、死んじゃった。」
と弱々しい言葉を並べると、いよいよ涙が流れ出す。なんと言葉をかけたら良いのかわからない。僕は肩を抱き、先ほどのベンチへ連れて行く。
ベンチに腰掛け、しばらくの間どちらからも言葉は出ない。夏美が泣きやむのを待ち、僕が口を開く。
「退院したんだ?もう、大丈夫なの?」
問いの後、少し間があって、
「うん。なんともなかったから、無理言って出てきた。」
「そうなんだ。火傷とかしてない?」
「うん。」
夏美は遠くを見つめながら言う。
「実は火事の時、夏美を追いかけて病院に行ったんだけど、深夜でぜんぜん掛け合って貰えなくて。」
僕は夏美の気持ちをもっと汲み取り、無理にでも面会すべきだったことを悔やむ。夏美は何も言わない。遠くでブランコを揺らした風がこちらまでやってきて、僕らの間を通り抜けて行く。夏美の短い髪が少しだけなびく。僕は言葉を続ける。
「でも、会えて良かったよ。電話も繋がらないし、どうしようかって思ってて。ねえ、今、どこに泊まってるの?」
夏美は言葉を思い出すようにゆっくりと時間を掛け、
「おばさんの家。この近くに住んでるの。」
と言う。
「そうなんだ。近くに親戚がいて良かったね。服も借りてるの?」
僕が言うと、夏美は自分の服を確かめるように観察した後で、
「そう。でも、元々私の服なんだ。おばさんのうちには私より少し年下の女の子がいて、私が着なくなった服をあげていたの。サイズも同じだったから。」
「お下がりがお下がりで帰って来たんだね。」
「うん。なんか、不思議。」
と言いながら撫でるように服に触れる。
「とりあえず、今後の予定は?」
「まだ何にも考えてない。でも、免許とか再発行しなきゃ。私、今、自分を証明するものを何も持ってないから。」
そう話す夏美の首筋に汗が光る。
「暑いよね?水分補給しなきゃ。ぬるくなってるけど、飲む?」
僕は飲みかけのスポーツドリンクを差し出す。夏美はじっとそれをみつめ、
「いい。喉渇いてないし。」
と言う。僕は断られたペットボトルのキャップを回し、
「まあ、ぬるいしね。」
と言って一口飲む。しばらく夏美は物思いにふけっている。そして突然こちらを見つめると、
「ねえ。生き残ったの、私で良かった?」
と聞いてくる。
「え?」
僕は驚き、顔をしかめる。
「春美じゃなくて、私が生き残って良かった?」
そう言われ、僕は少しムッとする。
「おまえまだそんなこと言ってるのかよ。いい加減、春美ちゃんと比べるのはやめろよ。比べたってしょうがないよ。それに、春美ちゃんはもういないんだ……。」
夏美は反省するように、
「ごめん。」
と言ってうなだれる。
「いや、俺も、ごめん。なんか、変な質問だったからつい怒っちゃって。でも、俺は夏美が生きてて嬉しいって思うよ。同じように他の家族が助からなかったことは悲しいと思う。」
そう言って僕もうつむいてしまうと、また二人の間に沈黙が生まれる。すでに3時を回っているというのに太陽は休まず公園を照りつける。今度は夏美が口を開く。
「ねえ、私、まだ気持ちの整理がついてなくて。だから、その、こんな言い方変かもしれないけど、しばらく、ほっといてくれない?」
「え?」
「ごめんね。なんか、私、ちょっとおかしいみたい。新しく携帯買うからさ、そしたら連絡する。それまで時間ちょうだい。だから、番号教えて。」
と言って意図的に製造された笑顔をこちらに向ける。
「え、でも……。」
「お願い。」
夏美が真剣な眼差しをこちらに向ける。僕は何も言い返せなくなる。諦めて携帯の番号を伝えると、夏美はそれをメモする。
「ありがと。少し疲れたから、もう行くね?」
「え?もう?久しぶりに会えたんだ、もう少し一緒にいようよ。」
「ありがとう。私もそうしたいけど、やっぱり気持ちの整理がつかなくて。だからごめんなさい。」
そういって夏美はまたうつむく。夏美の視線の先に目をやる。世界はこんなにも暑いと言うのに、汗一つ流さずに小さな虫の死骸をせっせと運ぶ二匹のアリが見える。僕はボーっとそれを見つめながら、彼らにアリA、アリBと名づけ、近くにあるだろうアリの巣穴を探す。どこにも見当たらない。彼らはこの荷物を一体どこまで運ぶのか知っているのだろうか?ふと二匹に視線を戻すと、もう先ほど命名したアリの区別がつかない。彼らは、他者をどう区別しているのだろうか?それとも、そもそも彼らには他者の区別など無意味なのだろうか?女王アリ、兵隊アリ、働きアリ。世界中のアリの合計体重は、世界中の人間の合計体重と同じと言われる。僕は人類のちっぽけさを憂い、アリの偉大さを賞賛する。一方で区別のつかぬ双子の人生を思う。その無意味な思考を、二匹のアリが虫の死骸とともにどこかに葬る。僕は顔をあげる。
「わかった、待つよ。夏美を信じる。でも、何ていうか、辛くなったらいつでも電話して良いよ。一人で抱え込むと、事態って好転しにくいからさ。」
「うん、ありがとう。私には大輔がいる。それだけで、私は勇気が持てるし、頑張ろうって思える。家族は残念だったけど、本当に、気持ちの整理がつくまでだから、辛抱してね?」
「わかった。」
僕がそう言うと、夏美は立ち上がり歩き出す。その背中に続いて僕も立ち上がり、夏美の肩を両手で掴み、体ごとこちらに向ける。
「夏美。」
思うよりも体が先に動いて、僕はキスをしようとする。瞬間的に夏美は顔を背ける。僕はその行為を拒まれひるむ。
「夏美?」
間髪いれずに夏美は、
「ごめん。」
と謝る。僕は気まずくなって夏美から手を離す。
「いや、俺の方こそゴメン。なんか俺、全然おまえの気持ちわかってやれてないね。夏美は、大切な家族を亡くしたっていうのに。」
「良いの。ゴメンね。少し、時間が欲しいだけだから。」
つぶやき背を向けると、夏美はゆっくりと歩いて僕から離れていく。僕はただ、小さくなっていくその背中を見つめることしかできない。太陽に熱された空気が、無力さを感じる僕から体力まで奪っていく。耳の後ろから首に向かって、一筋の汗が流れる。この汗は、体温調節の為だけのモノではない。もっと、いろんな事情が絡み合うことで分泌される発汗だ。Tシャツが、本来の機能を果たし、じっとりと僕の皮膚にへばりつく。そんな僕にはお構いなしと言った様子で、かすかな仲間の匂いを頼りに二匹のアリが虫の死骸を運ぶ。彼らには目標となるゴールは見えない。しかしゴールまで死骸を運ぶというはっきりとした目的がある。だから絶命を迎えるその時まで、きっと彼らは働き続けるだろう。なぜならこうやって働き続けることこそが、彼らのアイデンティティーなのだから。アイデンティティー、自分が自己自身であると感じる場合の、その感覚や意識。つまり自己同一性。働きアリの集団の中で、真面目に働く真の働きアリは二割しかいないと言われる。ならばと、その真面目な二割だけを抽出して集団にした場合、同じく真面目に働くのはそのうちの二割になるという。しかし僕から言わせれば、残りの八割が怠け者の働きアリになるのではない。その八割は、そもそもその時点で絶命しているのだ。それは決して本来の意味を持つ絶命ではない。彼らは働きアリとしての命を失うのだ。アイデンティティーの崩壊。では人間は?冬美は、夏美が同一性に障害を持っていると推測していた。そしてそれが完治したかの様に言っていたが、それも推測に過ぎない。もしもこのまま病状が悪化し、夏美が同一性を失うとすれば、それを絶命と言えるだろうか?新しく生まれた春美の人格を持つ夏美を、夏美ではない人間と言えるだろうか?答えは一つ。僕にはいずれも受け入れられない。僕に出来る事は少ない。夏美を愛し、信じ、本来の彼女であることに自信を持たせてあげること。具体的な方法はまだ分からない。

目標は見えずとも目的に生きる働きアリ、目標は見えるが成すべき事が定まらない僕

今の僕には、汗も流さず懸命に働く二匹のアリを見つめながら、ただ汗を流すことしか出来ない。当然この時の僕は、数日後に、またしても夏美の中から春美が顔を出すことを露も知らない。