【笑説】憧れのBar(最終章)

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憧れのバー

『そのまえに、ブラッティーメアリーもらえます?』

彼女がバーテンダーにそう言い。

「かしこまりました」

とバーテンダーが言う。なに、バーでは当たり前のやりとりだ。

『もしもし。え?今?全然大丈夫。』

こういうの嫌。だって、全然大丈夫じゃねえじゃん。

『え?今から?行く行く~。』

え・・・。嘘だろ。最低だ。でもこの場合、楽しい場を作れなかった自分にも責任がある、

と、思いこむ。

電話を切ると彼女は言う。

『ごめんなさい。間違い電話。』

間違い電話。僕は酔っている。少し日本語がわからなくなってきた。

『良くあることさ。』

そう、間違い電話はよくあることだ。

ただ、その可能性をかなり君よりに合わせたとして、一般的に、間違い電話と会話をする人は少ない。

『ところで急用を思いだしちゃって、帰らなきゃ。』

ところでその急用を、どのタイミングで思いだしたのだろう。

きっと間違い電話中に違いない。

『そっか、残念だな。でも仕方ないよ。急用だもの。』

僕は面倒になって適当に相づちを打つ。

『ちょっとごめんさない。』

そう言って彼女は少し席を外すと、化粧室に向かった。

僕は虚を突かれたようにぼおっとしている。さっきまで聴こえていなかった、どこかで聞き覚えのある洋楽が脳の中に浸透してくる。薄暗いバーの隅を見つめている。このバーは、僕がここに来た時からこんなにも薄暗かっただろうか。

少しして、彼女は戻ってくると僕にお金を差し出した。

『急でごめんなさい。これ、私の分ね。』

『いいよいいよ、ここは俺が持つ。』

『悪いから良いわ。それじゃ。』

急ぐように、振り返りもせず足早に帰る彼女に軽く手を振りながら、僕は独りになった。

バーテンダーが気まずそうに、彼女の注文したブラッティーメアリーを出す。

『ウォッカに、トマトジュース・・・か。』

僕は覚えたてのカクテルの知識を噛みしめるように呟くと、急に情けない気分になった。

ブラッティーメアリーのグラスの横に、同時にバーテンダーが差し出してきた小さなボトルが置かれている。

なんだか良くわからないが、その中身をカクテルに入れて飲むのだろう。僕は、彼女が無理矢理に置いていったお金を財布にしまおうとそのお金を手に取ると、ヒラリとメモ書きが落ちてきた。

僕はボトルの中身をカクテルに入れながらメモ書きを読む。どうやら僕宛ての手紙のようだ。

『ほんとうに急でごめんなさい。実は彼氏と別れたばかりで、寂しさを紛らそうとアナタと飲みにきたの。あなたがこのバーに来たのが初めてなのは、最初にバーをキョロキョロと探している時から気づいていたの。でも一生懸命あたしの為にしてくれているから、なんだか嬉しくてそれを観ていました。カクテルの事も、きっとたくさん勉強したのでしょうね?嫌いなタイプだって言ったけど、知識がたくさんある人も、お酒を飲める人も大好きです。なんだかわからないけど、少しあなたにいたずらしたくなって・・・。本当にお酒は強いんだけど、今日はなぜだか酔ってしまったの。気持ちが、傾いてしまったのかしら?だから今日は帰ります。だってそれって、フェアじゃないじゃない?今度はきっと最後まで付き合うから、また誘ってね?それじゃあ。』

読み終わると僕は途端に嬉しくなった。

僕は目の前にあるブラッティーメアリーを一気に口の中にそそぎ込み、舌の上で軽快に転がし、そしてまたグラスに戻した。

か、辛い・・・。

体中から一気に汗が吹き出てくる。僕は思わず手元のグラスを飲む。

ジンだ。

舌も喉も焼けるように熱い。

バーテンにチェイサーを貰うと一気に飲み干し、ブラッティーメアリーに付いてきた、カラになったボトルを指差し聞いてみる。

『すみません、このボトルの中身って、なんだったんですか?』

驚いてバーテンが聞く。

『全部入れたんですか?』

『はい。』

『それはタバスコです。適量をこのみで入れて頂くものです。ご説明が足りず申し訳ございませんでした。』

『だろうね。』

僕は紳士的に応えた。

支払いを済ませると、僕は席を立ち出口へ向かう。

何も知らないバーテンダーが僕の背中に向かって、

『大丈夫ですか?』

と、問う。

『なぁに、よくあることさ。』

と、目一杯大人ぶって背中で応える。しかしこれから始まる恋のことを想像すると、僕のワクワクは僕にだって抑えられない。

『おやすみなさい』

そんな優しいバーテンの声が、背中に染み渡る。嬉しくなって僕は力強く扉を押す。

ガッシャーン!!

ガラスが大きな音を立て、そして開かなかった。

そうだ、引き戸だった。

僕は決して後ろを振り返ることなく、狭い階段を注意深く降りていく。

少し悩んだが、夜風が気持ち良いので歩いて帰ることにする。若干の酔いも手伝って、ふわふわと宙にも浮かぶ感覚だった。徐々に街の灯りから遠ざかり、すっかりと薄暗い夜道を歩きながら、等間隔で照らす街灯を追いかけて歩く。

ところで僕はふと思う。

あんなに長い手紙を、彼女は一体いつ書いたのだろうか?席を立ったのはトイレに行ったときだけ。あんな手紙を書く時間なんてなかったと思うのだが。

ひょっとしたら、すべては彼女のシナリオ通りだったのかもしれない・・・。

強がる男、

それを転がす女、

世の中の恋愛は、すべて女のシナリオ通りなのだろうか・・・。

なるほど、それも悪くない。

僕は自宅までの薄暗い道をみつめ、「よし、行くぞ!」と独りごち、見慣れた通りの先を照らす、次の街灯を追いかける。

そう、彼女が描いたシナリオの通りに。

バー