【小説:解離性同一性障害 多重人格の彼女】ひのはな(21)

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ひまわり

優しく言葉をかけると涙を拭い、僕は救急車を迎えに外に出る。

早朝、通勤ラッシュ前の道路を救急車は走る。僕はその後を自分の車で追う。行き先は前に行った総合病院だ。幸い、傷は深いものの出血量が多くないため命に別状はないだろうとの事だった。病院に到着してから思ったほど時間もかからず先生に呼ばれる。

「ひとまず安泰ですね。あなたの応急処置も良かったですよ。まだ、意識は戻りませんが、いずれ目が覚めるでしょう。」

「良かった。ありがとうございます。」

僕はほっと胸をなでおろす。先生は少し深刻な顔で続ける。

「ただ。身体は大丈夫でも心が心配ですね。これは間違いなく自分で……。場合によってはカウンセリングを受けたほうが良いかも知れません。」

「……、はい。そうですね。」

と言って、僕は膝の上で拳を握り締める。先生に礼を言うと夏美のいる個室に向かう。目を覚ましていればと願ったが、まだ夏美は目を閉じたままだ。僕は夏美の右手を握り、頭を撫でる。傍にいたいと言う気持ちもあったが、しばらく目覚めそうにないので、僕は一旦夏美の部屋に戻り保険証や財布を持って来る事にする。それに部屋の掃除もして置きたい。救急車を待つ間にある程度床やテーブルの血液は拭き取ったが、綺麗にしておいた方が部屋に帰った時の夏美の心労は少ないだろう。僕は病院にその旨を伝え、すぐに車を走らせて夏美の部屋に向かった。

部屋に着くと、濡らしたタオルで残った血液を綺麗に拭き取り、申し訳ないがタオルはそのまま廃棄することにする。テーブルの上に開かれたまま置いてあった日記のようなものは、中をみないようにして閉じる。表紙をみると、案の定Diaryと書いてある。錠剤の入ったガラスの小瓶はただの風邪薬だ。先生いわく薬を大量に飲んだ様子はないとのことであったから、とくに気にもせず適当な棚の上に置く。少し気が引けたが、財布を探すべく部屋の隅に掛けてあるバックを開けると、すぐに見つかる。念のため保険証があるかを確認するが、問題なく入っていたのでさっさと財布を閉じる。着替えもと思ったが、病院に長居することもないだろうし、第一あまり棚やらクローゼットやらの中を探すのも夏美に申し訳ないので、必要ならばコンビニに買いに行くことにする。財布、保険証を持って外に出ようとしたとき、先程テーブルの上に置いてあった日記が目に入り手に取る。少し考えた後で、一緒に持って部屋を後にする。

焦る気持ちを抑えつつ、ようやく病院の駐車場に着いたところで、携帯が鳴る。病院からだろうかと思い画面をみると、会社からの電話だ。僕はすぐに通話ボタンを押して電話にでる。

「はい、佐藤です。」

「おう、おつかれ。悪いね、休んでるとこ。」

相手は例の上司だ。

「いえ、お疲れ様です。」

「うん。ちょっと今時間大丈夫か?」

「ええ。どうかしましたか?」

「実はな、警察の方がみえていて、おまえと話がしたいそうだ。」

「は?なぜですか?」

「なんでも調書を作成したいそうだ。で、皆に話を聞いて回ってるんだよ。」

「そうですか。でも、僕の知っていることは特にありませんから、断っていただけませんか?」

「ん?うーん。そうなんだが、火事の当日、おまえ、高橋とシフト交代しただろ?その辺りを、詳しく聞きたいそうだ。」

「それって、もしかして疑われてるんですかね?」

「いや、違うとは思うが、とにかく今から会社まで来てくれんか?」

「え?今からですか?今、色々あって行くのは難しいですよ。」

「しかしな、それが終わらないと警察も帰ろうとしないんだよ。なー、すまんが、来てくれんか?30分程で済むそうだ。」

「無理ですよ。今、病院に来てるんです。調書なんて後で良いじゃないですか。」

「それがよくもないらしいんだ。なんでも早く作成しないと具合が悪いとかで。頼むよ、警察にいられたらこっちも落ち着かなくてな。」

「いや、じゃあ、電話じゃダメなんですか?」

「おお、なるほど。ちょっと待ってくれ。」

保留音に切り替わる。僕は深くため息をついて待機する。

「おお、すまんな。やっぱり、電話だと具合が悪いそうだ。で、警察がそっちに行っても良いと言い出しているが、どうする?」

「病院にですか?」

「まあ、病院の中ということは考えにくいが、とりあえずそっちの都合に合わせるそうだ。どうしても今日が良いらしい。」

僕はただでさえナイーブになっている夏美の側で、火事について話すことを想像してうんざりする。

「もう良いです。行きますよ、会社に。調度会社まで近いんですぐに着くと思います。」

「わかった。伝えておくよ。」

と言って、上司はまたも一方的に電話を切る。携帯を閉じながら舌打ちをする。夏美の目が覚めたら、何にも邪魔をされずにずっと側にいてやりたい。面倒なことはさっさと済ませてしまおう。

「待ってろよ、夏美。」

と、病院に向かってつぶやくと、エンジンを掛けなおし病院の駐車場を後にする。

15分も掛からずに会社に到着する。上司に案内されるまま、会社の個室に入る。四人用の小スペースで、真ん中の机を挟んでパイプ椅子が向かい合うように二脚ずつ並んでいる。中にスーツ姿の男が二人いて、奥側に並んで座っている。一人はこの道一筋数十年といったベテラン風のやたらと体の大きい男で、もう一人は細身で眼鏡を掛けた新米を思わせる若い男だ。机の上にはノートパソコンが一台と、何枚かの書類が、雑念と散らばっている。僕が入ると二人はこちらに気付いて席を立ち、大きい方が、

「これはこれは佐藤さん。いやいや、どうもすみませんねぇ、お休みのところお邪魔しちゃって。ご協力、是非ともお願いしますよ。」

と言って会釈してくる。ねっとりとしていて、人を不快にさせる話し方だ。軽い自己紹介をしてきたが、興味もないので適当に聞き流す。僕は不機嫌を表に出さないように気をつけながら、

「いえいえ。」

と適当に返して席に座る。それに続いて二人も座るが、大きい方の男がどかりと座ると、『キュッ!!』とパイプ椅子が悲鳴をあげる。それにはお構い無しといった様子で、『パン!!』と音を立てて両手を合わせると、そのまま机の上で指を組み合わせる。

「さーて、では、あまりお時間を頂いても申し訳ないですからねぇ、さっそく始めましょう。まず、火事のあった日、佐藤さんは本来お休みであったと伺っておりますが、急遽シフト変更をなさったんですね?」

「はい。」

「それはなぜ?」

と、間髪入れずに質問してくる。一瞬呆気に取られながら切り返す。

「なぜって、変わってくれって言われたからです。」

「もう少し……。」

またも間髪入れずに言ってくる。

「具体的な理由はありませんでしたか?」

大きな体の男は話し終える度にニッコリと笑い、タバコのヤニで黄色くなった歯をこちらに剥き出しにしてくる。実に不愉快な光景だ。

「言ってましたよ。好きな女がいて、初めてその女からデートの誘いがあったから、なんとかシフトを代われないか?って。」

僕が話すと、眼鏡の男がカチカチとノートパソコンに打ち込んでいく。僕の言ったことを総て入力していくのだろう。

「それはそれは。他には何か言っていませんでしたか?」

僕はあの日の会話を思い出しながら話す。

「後は、その女に告白して、ダメだったらこれで最後にすると言っていました。」

その内容を聞いて眼鏡の男はうなずきながらパソコンに入力していく。大きい方の男が話をすすめる。

「なるほど。それから、彼が会社に出勤したのは何時ですか?」

「確か、24時きっかりには来たはずです。タイムカードもその時間に切ってると思います。」

「なるほどー。ちなみにその時、彼は何か言ってましたか?」

「んー、覚えてないですね。ただ、すごく元気がなかったんで、きっと告白はダメだったんだろうなって思いました。」

「さようでございましたか。……、ところで、あなたは彼とは長い付き合いだそうで。」

彼は広げた左右の五本指を突合せ、その中から人差し指だけを抽出してぶつからないようにクルクルと回しながら言う。頭の体操でもするかのように。

「ええ、まあ。」

「どのくらいですか?」

「どのくらい?ああ、この会社に入ってからですから、もう3年くらいですかね。」

「ほー、長いですな。……、そういえば彼が昨日、取調べで、友人には申し訳ないことをしたと言っていたんですが、それはあなたのことでしょうか?」

クルクルと人差し指を回すことに飽きたのか、パタリと作業をやめ、僕の顔に視線を向けてくる。

「は?わかりませんよ。そういうことは本人に聞いてください。」

「それはそうだ。これは失礼。なにしろなぜか彼は、その友人の名前を言いたがらないもんでね。まあ、たいして重要な供述じゃないといいんですが。」

僕はその言い回しが喉につかえる。

「逆に言えば、重要な供述の可能性もあるから名前をはっきりしておきたいということですか?」

「いやあ、世の中なにごとも、白と黒ははっきりとしておいたほうがいい。そうでもなきゃあ、オセロは勝敗が着きません。それにー、取調べでね、つい口走った何でもないことが、意外な真実を導き出したりするもんですからね。」

大きな男はうんうんと自分の発言を肯定するようにうなずきながらしゃべる。

「要するに。僕が共犯じゃないかと疑っていると?」

「いやいやいやいや、とーんでもなーい。参考までに述べただけですよ。」

「なら言いましょう。彼の言う友人とは、間違いなく私でしょう。」

大きな体の男が口を隠しながら笑う。

「おやおや、これは驚きました。間違いなくとはなかなか言えないものです。私には30年来の悪友がいましてね、いやーもうこれは腐れ縁とでも言うんでしょうね。とは言え、なかなか相手側が自分のことを間違いなく友人と思っているとは口が裂けても言えないものです。その悪友ってのがね……。」

「すいませんが!終わったのならさっさと帰りたいんですが?」

「いやいやいやいや、ちょっとした年寄りの思い出話じゃないですかー。歳を取るとこれが生きがいになっていけません。」

「早くしてくれませんか?」

「やれやれこれは失礼、話を変えましょう。警察署に出頭する寸前まで、彼は何をしていたと思いますか?」

「今度はクイズですか?検討もつきませんね。」