【小説:解離性同一性障害 多重人格の彼女】ひのはな(17)

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ひまわり

「そんなんじゃないの。あのね、少しの間、春美になってもいい?」

僕の思考が一瞬停止する。そしてすぐに我に返り、低いトーンで返す。

「おまえ、いつまで春美ちゃんを追いかけるんだよ。」

「追いかけてなんかない。ただ、春美にもこの幸せを分けてあげたいだけ。少しの間、春美の真似をするだけだから。」

「おまえが春美ちゃんの真似を今したところで、それはおまえだろ?そんなことで春美ちゃんは喜ばないよ。そんなのはおまえの自己満足だよ。」

「それでも良いの。たぶん春美は、あなたの事が好きだった。だから、春美にもあなたとデートさせてあげたいの。」

「だから結局はおまえが演じるんだから同じことだろ?おまえ何言ってんだよ。いい加減にしろよ。」

「ごめん。お願い。……、これで最後にするから。もう二度と、春美のことは言わないから。」

僕はひどく混乱する。どうしたら良いのかわからない。春美の真似をすることで夏美はさらに春美を思い出してしまうかもしれない。もしかしたら、冬美の言っていた症状が再発する可能性だってある。しかしこのまま一方的に春美の人格を封じ込めることもまた、反動的にそれを呼び起こしてしまうかもしれない。僕は悩んだ末に口を開く。

「春美ちゃんのことを話題に出すことを責めているんじゃないよ。ただ、真似ごとは良くない。」

「分かってる。でも……。」

僕は深くため息を付く。

「ホントに、これで最後にできるのか?」

夏美は何も言わずうなずく。

「もうわかったよ。元気な夏美を取り戻すためだ。少しの間、春美ちゃんの彼氏になればいいんだな?でも約束は守れよ?」

夏美は物思いにふけった様子で、

「うん。」

とだけつぶやく。

「でもさ、春美ちゃんとデートって言っても、どうしたらいいか分からないよ。」

「良いの。大輔はそのままで。」

夏美はウーロン茶を飲み干す。そして立ち上がると、

「ちょっとここで待ってて。飲み物買ってくるね。」

と言って人ごみの中に消えていく。

「おい!夏美!!」

と叫ぶ僕の声が人のざわめきの中でかき消される。僕は暗闇から湧き上がる不安で食欲がなくなり、残りわずかの焼きそばをベンチに置く。これで良かったのだろうか?自分の言動の善悪の判別が付かない。辺りはこんなに騒がしいのに、自分の心臓の響く音が聞こえる。僕の鼓動に合わせるように花火が打ち上げられる音が響く。僕はじっとしていられなくなり、ズボンのポケットからスーパーボールを取り出すと、ベンチに座ったままそれを地面に落とす。まっすぐに自分の手元に跳ね返ってくることを期待したが、およそ見当違いな方向に飛び、茂みに埋もれる。やれやれと思いベンチから腰を浮かせスーパーボールを取りに行く。拾い上げ、立ったままもう一度地面に落とす。するとまたボールは思わぬ方向に飛んでいく。転がるボールを追いながら、夏美との会話を思い出す。あの火事以来、夏美との会話がなんかおかしい。反抗して欲しい時に謝ってきたり、からかっているのにありがとうと言ったり。思ったように言葉が返ってこない。地面が平らでなければ、スーパーボールは元の位置には戻ってこない。あの火事で、夏美の心は平らでは無くなった。おそらくは愛し憧れる春美を失い、心のバランスも失ったのだ。不安定な夏美は、自己を保護するために、またしても春美という人格を内部に形成してしまったのではないだろうか?そんな嫌な予感がよぎる。僕はボールを拾うとベンチに腰掛ける。ボール遊びは諦め、ポケットにしまう。そのタイミングで両手に白いカップを持った夏美が戻ってくる。

「ごめんなさい。おまたせしました。」

「え?あ、いや。」

と答えながら、夏美の言い回しが気になる。夏美の表情を見ると、春美ちゃんの様な穏やかさすら感じられる。

「おまえ、まさかもう春美ちゃんになってるのか?」

「はい?私はずっと春美ですよ?はいどうぞ。」

と言って、飲み物を渡してくる。僕は何も言えずそれを受け取ると中身を確認する。白い泡。まさかと思い一口飲んでみる。ビールだ。

「おい、おまえが飲まないなら俺も飲まないって。」

「いえ、私も飲みますよ。カシスオレンジ。」

と言ってカップの中を見せてくる。

「良いのかよ?あれ以来飲んでないんだろ?」

「それはこっちのセリフですよ。良いんですか?ノンアルコールで花火大会を終えても。」

「いや、それはそうだけど。」

「じゃあ、いいじゃないですか。せっかくのデートなんですから乾杯しましょうよ。」

そう言って強引にカップを合わせ乾杯してくる。僕は呆気に取られながらも流れにまかせてビールを飲む。

「なあ、夏美、やっぱり……。」

「私は春美です。」

「あ、ああ。春美ちゃん。えと……。」

僕は言葉を失いビールを飲む。僕らは何も言わず花火を観ている。打ち上げられては大きな花を咲かせ、数秒の後、跡形もなく姿を消す。そして次の花火が打ちあがると、一つ前の花火の記憶は薄れていく。夏美が立ち上がる。

「金魚を助けに行きましょう。」

「え?」

僕の返事を待たずに夏美は歩き出す。慌てて残った焼きそばを手に取りそれを追う。その途中でゴミ捨て場を見つけ、少し悩んだがそれを捨てる。夏美に追いつくと、

「金魚を救うって、金魚すくいをするってこと?」

と聞く。

「そうです。金魚を助けるんです。」

「いや、そういう意味じゃないと思うけど……。って言うか、おまえ、金魚すくい苦手なんじゃ?」

僕の言葉を無視して夏美は金魚すくいの屋台へ進む。夏美は浴衣の袖をまくりあげると、裾を気にしながらしゃがみこむ。屋台のおじさんから虫眼鏡の形をした緑色のフレームに白い紙を貼られた道具を受け取ると、お椀を片手にじっと構える。次の瞬間、さっと水を切るように道具を水中に入れたかと思うと、真っ赤な金魚が水面から飛び出してきてそのままお椀に入る。

「は?上手いじゃん!!」

僕の声と同時に周囲の子供も歓声をあげる。夏美は何も言わずにずっと水面を睨んでいる。そしてまたしばらくして水を切ったかと思うと、黒い出目金が飛び出しお椀の中に落ちる。

「本当に上手いな?おまえ。」

匠の技に子供達の視線は釘付けだ。夏美が金魚をすくう間、マネをして水を切るように道具を使う子供も現れたが、すぐに紙が破れ失敗に終わる。屋台のおじさんは意外にも終始にこやかだ。十匹ほど金魚をすくったあたりで満足したのか、明らかにわざと失敗をし紙が破れる。金魚の入ったお椀をおじさんに渡しながら、

「二匹だけ下さい。えーと、赤いのと、黒の出目金。」

と夏美が言う。

「あいよ。」

と言って、屋台のおじさんは手際よく透明のビニールに金魚二匹と水草を入れて差し出してくる。それを受け取ると、先ほどから何度挑戦しても失敗していた女の子の肩をポンと叩き、その子に自分の金魚を差し出す。女の子はそれを見つめ少し黙っていたが、受け取ると何も言わずにどこかに走っていく。夏美は僕の方をみてふふっと笑う。そしてまた人の流れにそって歩き出す。

「いやー、ビックリしたよ。苦手なのかと思ってたのに、あんなにすくうとは。プロの域だね。」

「そんなことないですよ。」

その言葉を聞き、彼女が今は春美なんだと再認識する。

「いや、すごいよ。どうやってるの?」

「どうって、別に、水の抵抗を考慮しているだけです。」

「そ、そうなんだ。まあ、マネは出来そうにないかな。」

「そんなことないです。出来るって言う自分をイメージすると、普段は出来ないことでも不思議と出来ちゃうものですよ?人間は潜在能力を半分も使えていないんですから。」

僕はそれを聞いて、火事場の馬鹿力を例えにあげようとしたがすぐに取りやめる。

「ビールが切れちゃったから、どこかで補充したいな。」

「そうですね。私も飲んじゃいましたし。」

会話をしながらふらふらと屋台を探し歩いているうちに、僕は少しずつ、夏美を春美として接することに慣れてくる。『もしも今後夏美から春美のような新しい人格が生まれてしまった場合、決してその人格を否定しないこと。』と言う冬美の言葉を思い出す。今の夏美が、ただの春美の真似ごとであれ、万が一にも春美の人格が表に出て来ているのであれ、こうすることが一番無難であることに違いはない。アルコールを売っている屋台まで行くと、

「すいません、ビール一つ。春美ちゃんはどうするの?」

「私はカシスオレンジです。」

と言って、各々注文した品を受け取り、また人の流れにそって歩く。飲み物まで春美の真似をするということが引っかかる。そしてまた同じ考えが頭の中を支配する。あくまでこれは本格的な夏美の真似ごとで、亡くなった春美へのせめてもの思いなのか、あるいは冬美の言っていたように人格ごと入れ替えられているのか。もちろん一般的に言って、これはただの真似ごとと捉えるのが普通だが、どうもあの冬美の発言を聞いて以来偏った見方をしてしまう。ふいに夏美が、すれ違う人にぶつかり僕の方によろけてくる。僕は夏美の肩を両手で支える。人の往来が激しいので、ひとまず並んで歩くことを諦め、夏美が前、僕が後ろという風に一列になって歩く。前を歩く夏美のうなじにホクロを見つける。それをボーっと見つめながら、考え過ぎか……、と思い直し夏美についていく。すると今度は、春美の真似ごとを、本当にこれで最後にしてくれるのだろうか?という不安に陥る。僕は右手で頭を掻きむしる。ダメだ。僕は夏美を信じなきゃいけない。僕が信じてやらなければ、夏美はもっと不安になってしまう。僕は意識を戻すように首を振り、時計を確認する。花火のクライマックスまであと30分だ。前を歩く夏美がくるりとこちらを振り返り、そして笑顔で言ってくる。

「手を繋いでも良いですか?」

思わぬ発言に一瞬戸惑うが、僕は腹をくくり、何も言わずに夏美の左手を握る。夏美は何も言わずに満足気に鼻を膨らませると、足取りは軽くなり、道の両側に並ぶ屋台を、指差してはあっち、僕の手を引っ張ってはこっちとはしゃいだ。そしてその都度、「射的は得意ですか?」「カキ氷は舌の色が変わるのが嫌なんです。」「焼きとうもろこしを食べるとき、女の子はいかに綺麗に食べるかが大事なんです。」などと、他愛ない事を幸せそうに話してきた。本当に春美と花火大会でデートをしている様な錯覚にすら陥った。しかし僕にはタイムリミットがあった。花火のクライマックスまでには、夏美に戻ってもらわなくてはならない。そうでなければ、この花火会場を選んだ意味も、花火大会に来た意味もなくなってしまうのだ。僕はさりげなく時計をみる。予定ではあと、10分。焦る心を抑えつつ、

「そうだ。もうすぐ花火がクライマックスの時間だ。ビールを買って、花火を観やすい場所に行こうか?」

と言う。

「はい。そうしましょう。」

僕らは近場でビールと、カシスオレンジを買うとベンチを探す。しかし混雑もあってなかなか空いているベンチを見つけられず、諦めて花火が見える場所を探し、歩道脇に設けられた縁石に並んで腰掛ける。時計をみる。残り5分だ。それを告げるかのように青くひときわ大きい花火が打ち上げられる。

「なあ、そろそろ……。」

「花火って、どこから観ても同じだと思いますか?」

「え?」

夏美の発言に邪魔される。夏美はカシスオレンジの入ったカップを大事そうに両手で持ちながら夜空を見上げている。

「花火ですよ。西から観ても北から観ても、真下から観ても、空から観ても、どこから観ても同じだと思いますか?」

「そりゃあ、花火によるよ。平面にハートマークを作る花火だってあるんだから。」

夏美は動じない。

「じゃあ、そういうのは無しです。まあるい花火。」

「丸いのは球体だから、どこから観たって同じだよ。花火職人だって、それを観る人たちがどこから見ても平等にまるく観えるようにって作っているはずさ。」

「人類平等?」

「そう。目指せ世界平和。」

僕はビールを口に運ぶ。夏美はじっと空をみつめたまま口を開く。

「でも。」

「でも?」

「私、花火がまあるく観えない場所を知っているんです。」

「……、どこ?」

たっぷりと時間を掛けてカシスオレンジを飲み、そしてしゃべりだす。

「花火の内側。」